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鷹足です。このブログでは、学校でのことやコンピュータ関係のことを書くと思いますが、どうぞよろしくお願いします。

2012年6月16日土曜日

著作権法改正案

ものすごくお久しぶりです。鷹足です。もはや技術系どころか更新思いっきり止まってましたが、書くことができたのでちょっとだけ投稿。

著作権法改正案で、閣法に議員立法をくっつける形で違法ダウンロードに刑事罰を科すというこわ~いものが、民自公3党により衆議院を通過しました。あと少しで成人になり、選挙権を持つことになるぼくとしてはちょっと黙っていられなくて、とりあえずわが選挙区選出の参議院議員諸氏にメールを送ることにしました。送ったものの概要を、ここにも書いておこうと思います。もしここを見た人の中で、内容を見て同意してくださる人がいたら、まあコピペでも何でもして、(できればそれぞれアレンジを加えたうえで)地元の議員さんに送ってみてはいかがでしょうか。また、誤りや議論などあったらコメントに書いていただけるとありがたいです。

では、以下メールの概略。


今回、既に違法化されている「違法にアップロードされた著作物を情を知りつつダウンロードすること」(以下、違法ダウンロード)に刑事罰を科す著作権法改正案が衆議院を通過し、参議院に送付されることを知りましたので、これについて意見を申し上げたいと思います。

まず、法的観点から見て、この法案のうち違法ダウンロードに刑事罰を科す部分には以下の問題・疑義があります。
1.憲法において保障されている基本的人権との抵触
我が国においては、憲法によって欧米諸国と比較しても遜色のないかなり充実した人権保障が行われており、これこそが現在の日本の発展と国際的地位の向上を推進してきたということについては言うまでもないことと思います。人権の保障により国民の福祉を増進するという憲法の精神、および(主に)戦前の我が国の歴史にてらして、国家によってこれらの人権が踏みにじられることはあってはなりません。しかるに、この法案では新たな刑事罰の立法がなされようとしています。それも、2年以下の懲役または200万円以下の罰金という決して軽くない罰則です。刑事罰において人権侵害が起こりやすいのは周知の事実であり、導入前には慎重な検討が必要です。
さて、憲法21条には表現の自由が定められていますが、この法案はそれに抵触する恐れがあります。表現の自由は表現する側の自由はもちろんのこと表現を享受する側、コンテンツを視聴する側の自由をも含むものという解釈が現在では一般的です。なぜならば、たとえ自由に情報を発信できたとしてもそれを受け取る側が規制されてしまえば、事実上その表現はなかったも同然ということになってしまうからです。つまり、表現する自由とそれにアクセスする自由は表裏一体をなす存在といえます。この法案では、受け取る側の規制を強く打ち出していることが問題です。後述する構成要件該当性の判断が行為の時点において困難であることと考え合わせると国民全体の情報に対するアクセスの萎縮を招き、これにより表現の自由を実質的に損なう可能性が高いものと考えられます。
次に、通信の自由及びプライバシー権に関する懸念があります。通信の自由は憲法第22条2項後段に明文規定がありますし、プライバシーに対する意識は現代では相当に高い水準にあり、国民の権利意識も高まっていますから、立法活動上尊重に値する価値であるということには争いがないものと考えます。さて、この法案で規制される行為は「ダウンロード」であり、合法なものも含めて考えると、それ自体は膨大なデータがやり取りされている情報化社会においては日常的に行われています。このうち違法なものを捜査し摘発するということになれば通信を監視することが不可欠になります。捜査機関が通信を見張るということは、国家が私的通信にまで日常的に入り込んで介入するということであり、通信の自由にてらして断じて許されないことです。
また、摘発後には裁判が行われなければならず、その手続きにおいて違法ダウンロードを行ったとされる端末は重要な証拠となることから、警察により押収される運用が定着するものと予想されますが、現代において情報端末(パソコン・携帯電話など)は個人情報の塊と化しており、押収された機器を分析する過程で捜査機関には被疑者の個人情報が筒抜けとなります。これはプライバシー権の侵害以外の何物でもありません。
2.運用上の問題
構成要件該当性の判断が困難である、いいかえると規範に直面するか否かが不明確であるという問題があります。罰則は「禁令があり、それが悪いことだと知っているのにあえてその行為をした」ということに対する社会的非難があって初めて許容されます(刑法における責任主義)。しかしながら、今回の罰則の構成要件は「ダウンロード」であり、これは本人の意に反して、または知らずに行われることも十分考えられることです。だからこそ、昨今はコンピュータウイルスが社会的問題となるのです。このような性質を持つ行為を規制する際に、誰が被疑者について「規範に直面した」などと言い切れるでしょうか?
そのようなことを証明できる人はまずいないし、また証拠も残ることはないでしょう。そのような背景のもとでは、国民はいつ犯罪者扱いされるかわからないので情報の取得自体に消極的になり、国全体の情報通信・文化が萎縮してしまいます。
また、この罰則は冤罪や恣意的な適用を生みやすいものとなることが予想されます。前述したように、事実上証拠は被疑者の情報端末に残るデータだけです。データというものは書類等と違い誰がその端末に書き込んでもその違いを判別することはできません。したがって、他人に濡れ衣を着せることが簡単にできてしまいます。また、警察にとっても別件逮捕などの手法として活用することが容易です。とりあえず逮捕して、その人の端末にデータを数件書き込めばいいのです。このようなシナリオは十分に実行可能ですし、検事により証拠が捏造されるような情勢では警察がこれを実行に移さないとはだれにも言いきれません。

続いて、政治的な側面から見た問題点を挙げたいと思います。
1.効果への疑義
今回の罰則の政策的目標は音楽・映像産業が違法ダウンロードに圧されて衰退するのを防ぐことにあるといわれています。しかしながら、この効果がどれほどあらわれるのか極めて疑問です。まず、そもそも「音楽・映像業界」の衰退は違法ダウンロードの跳梁以外にも多くの要因があります。むしろ、それらの方が大きなウェイトを占めるものと私は考えます。それは、第一に娯楽の多様化です。インターネット上には無償で合法的に使用できるコミュニケーションツールやサービス、ソフトウェア、コンテンツがあふれています。音楽や映像でさえ、品質の高い独自作品がより緩やかな著作権に関する考え方(コピーレフト)のもとに配布されるようになっているのです。これらへ消費者の時間が流れた分だけ商用コンテンツの売り上げが低下するのは当然のことです。第二に業界の既存ビジネスモデルへの固執・硬直化があげられます。JASRACの独占禁止法問題、私的録画補償金問題への業界の対応などからうかがわれるとおり、現在の音楽・映像業界は既存のCDやDVDを売り上げて収益を得、些細な利用にも目をとがらせて利用料を得るという旧来のビジネスモデルに固執しています。これと相容れない媒体は消費者の利便を無視して業界から締め出すという立場を国内の業界は取ってきました。若者をはじめとするネットユーザーがJASRACを「カスラック」と呼び、アメリカの自由競争によって鍛えられたアップル社が音楽配信において圧倒的売り上げを誇るのはこうした時代錯誤な考え方の結果です。
音楽業界は自分で自分の首をじわじわと絞めてきたのです。そして今、国民の権利を制約し、ますます消費者の利便を犠牲にしようとしています。このような措置で売り上げが上がるとは、私には到底思えません。
2.諸外国との比較上の疑義
先述したアメリカ合衆国のアップル社は、運営するiTunes Music Storeにおいて多数の楽曲をより高音質、かつ技術的な著作権保護のない形式に移行しました。そして当該サービスは成功を収めています。このように、より自由な情報の流れがビジネスに利潤をもたらした例はほかにも数多くあります。
また、オランダおよびスイスにおいては同様の施策に対して議会が明確に否定の意思を示しており、世界的に見ても我が国ほど消費者の権利を無視した立法がなされている国はそうありません。
3.立法プロセスの問題
今回の罰則規定は、そもそも内閣提出法案として衆議院に提出された時点では存在していませんでした。衆議院の委員会審議を通過した後で議員による修正として発議され、そのまま本会議で可決されたものなのです。国民の行動を広範に、かつ強力に制約するであろう法案にもかかわらず委員会による専門的審議も、また当事者のヒアリングもこの部分に関しては事実上行われていないのです。これでは議論が十分に尽くされたとは言えず、民主主義の最重要かつ基本的な要素である討論が蔑ろにされています。このような状態で可決された法案で刑罰規定を新設する先例ができてしまえば、将来的に国民の権利保護は危ういものと言わざるを得ません。

最後に、情報の性質から導かれる問題点を述べたいと思います。
インターネット空間は本質的に情報の流れがオープンであり、これは表現の自由をはじめとする諸自由権に密接に関連するものです。この流れは情報化社会の到来とともに広く社会を覆い、新たなビジネスや利潤、人類全体を利する福祉を生んできました。すなわち、情報の自由な流通は人類全体にとって必要なものであり、これを維持することこそが憲法も重視する公共の福祉に適合するのです。今回の罰則規定はこうした情報やインターネットの性質、ひいては憲法の精神にそぐわないものです。

著作者の権利が重要であること、その侵害が行われるべきでないことは私もよく理解しています。しかしながら、その重要な必要性を考慮したとしても、上記のような危険がある以上この罰則付与という方法は許容されないと私は考えます。

参議院では慎重なる審議が行われ、妥当な結論を導いていただけるようお願い申し上げます。