ようこそ。

鷹足です。このブログでは、学校でのことやコンピュータ関係のことを書くと思いますが、どうぞよろしくお願いします。

2010年5月24日月曜日

最近「政治」の記事が多いなあ

今日の読売新聞の社説に児童ポルノと通信規制の話がありましたが、やはり読売新聞はメディアとしての見識が疑われることを言っていますね。
「通信と放送が融合する状況においては、放送と同様に通信も規制の下におかれるべき場合もあるだろう」
「全ての通信事業者へブロッキングを義務づけるには新たな法整備も必要になるだろう」
とかそんなことを言っていましたが、(2010年5月24日、読売新聞社説で)やはりこれには疑問を抱かざるを得ません。
たしかに、そうした画像等はきわめて重要な問題です。被害に遭っている人の人権が侵害されていることはもちろんですし、そうした被害が長く続きかねない点も深刻です。従ってあの都条例案とは問題の所在が違います。
しかし、通信の自由の確保が民主主義国家たる最低限の条件のひとつであることを否定する人はいないはずです。例を出すならば、中国の言論弾圧としてのブロッキングだって、こうした情報の規制を大義名分のひとつにしています。「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」(Wikipediaでの解説)という詩を知っている人も多いでしょう。今日読売新聞の記者が行うべきだと言ったことはまさにこの詩の始めの段階なのです。メディアにとってはまさしく自殺行為です。
児童ポルノが残酷で甚大な被害を及ぼしうるものであり、 規制対象となることは当然です。ただ、こういったことは規制対象がみるみる拡大する可能性があります。ですから、もしフィルタリングやブロッキングを実施するというならばその制度はしっかり一般市民が監督できる状態の下におかねばなりません。だれがどのような基準でどのような手続きを持ってブロック対象を決めるのか、しっかり注視し、問題があれば改善を求める必要があります。また、その指定に対する(サイト管理者や利用者による)異議申し立ての手続きや、それに対する審議を裁判並みの公正さと公開性でもって保障する必要があるとぼくは思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿